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えのもと(榎本)地域活動協議会を知る

陸前高田市訪問記

青パトが結んだ「縁」を大切にし、私たち榎本地域は陸前高田市の皆さんを長期に支援していきたいと考えています。

2013.7/25~28

鶴商軽音楽部員16名顧問2名、榎本地域スタッフ等9名の合計27名で、岩手県陸前高田市へ行き、地域からお預かりした義援金と橋下大阪市長から託された戸羽市長への親書をお渡しするために市役所を表敬訪問し、仮設住宅に暮らす被災者の方々を中心に現地での交流、そして、鶴見商業高校軽音楽部の音楽をプレゼントしてきました。

2011.6/10~12

木村会長と菱谷副会長が防犯グッズやTシャツ、飲料水などの救援物資と、地域の人々や榎本小、今津中、汎愛高校、鶴見商高の皆さんのたくさんの寄せ書きに込められたメッセージを青パトの軽トラックに乗せて出発。

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どうして陸前高田へ?

東日本大震災直後、地域として青パト1号車の軽トラックを被災地に送ろうとしたところ、陸前高田市に応じていただき、木村理事長・菱谷副理事長がハンドルを握り、支援物資を満載してお届けし、悲惨な状況を体験して「顔の見える支援を続けよう」と提起されたことが始まりです。

その後も、各種行事で義援金の呼びかけや応援Tシャツの販売などを続けてきました。そして3年目になるこの春、再度町会をあげて義援金を募ったところ、多くの皆様に応じていただきました。

今回の企画は?

時間の経過と共に遠く離れた被災地の記憶が薄れる中で、顔の見える支援を続けること、現地での様子を若い人たちに体験してもらい、大阪の元気をお届けすることに意義があると今回の企画を立て、交流団のバス代をはじめとする資金を義援金とは別に地域の事業所を中心にお願いしたところ、多大な協力を得ることが出来ました。

交流の様子は?

戸羽市長は、折からの天候不順で多忙な中、私たち全員を招き入れ、貴重なお時間を割いてくださいました。そして、市民同士のお付き合いは大きな励ましになるとのお礼と共に、高校生に震災後の経過や、ご自身の体験を交え、失ってみて気づく事、当たり前すぎて気付かない家族の大切さをあらためて見つめ直してほしい、今回の体験を大切にしてくださいと丁寧にお話しくださいました。

(ふれあいえのもと通信11号より抜粋)

青パト軽トラックを陸前高田市に寄贈することになった経緯は?

震災後テレビを見ていると、雪のちらつく真っ暗な地で自警団が活躍していました。榎本の軽トラが役に立つと思っていたら、岩手県陸前高田市でほしがっているとのこと、早速地域で青パトを届けたらどうか、と話したら、支援物資や激励も届けることになりました。

どんなものを積んで出発しましたか?

社協ふれあい祭りの準備をする中で地域の皆さんの寄せ書きが集まり、汎愛高校、鶴見商業高校、そして今津中学、榎本小学校の子ども達も心のこもった寄せ書きをしてくれました。地元のスーパーから飲料水のペットボトル寄付の申出があり、鶴見区各連合が寄せてくれた資金を元に地元食品会社にレトルト食品を格安で分けてもらい、Tシャツ、防犯グッズや「種から育てる地域の花づくり活動」のナタネの種、ヒマワリの種と苗を積み込み、青パト軽トラックで一路東北を目指すことになりました。

陸前高田での様子はどうでしたか?

6月11日は、ちょうど震災から3ヶ月目にあたり、14時46分に仮庁舎前で黙祷を捧げるとのことで、参加させていただきました。整然とした被災地の様子は、海外からも高い評価が得られていると報道されていますが、実際には盗難事件が無いわけではなく、道中パトロールする警察車両を多く目にしました。陸前高田市では、以前から青色防犯パトロールの取り組みをされておりましたが、津波に押しつぶされてしまいました。そんな時、私たちの青パト提供の意向が届いたのです。

(ふれあいえのもと通信創刊号より抜粋)

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